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■コント55号 伝説
コント55号(コントごーごーごー)。
1966年に萩本欽一と坂上二郎で、「コント55号」を結成。日本を代表するコントコンビである。
「欽ちゃん」こと、萩本欽一と、坂上二郎のコントコンビ。一般的に「コントごじゅうごごう」で親しまれている。
□由来
コント55号の「55号」の意味は諸説ある。名付け親は、浅草松竹演芸場の支配人。
・結成の2年前に読売ジャイアンツの王貞治選手(当時)が年間55本の最多本塁打を記録し、それにあやかって「お笑い界のホームラン王を目指してほしい」という願いを込めた。
・当時流行していたゴーゴーダンスの「ゴーゴー」から、そして英語の掛け声「GO!GO!」から来ている。
※坂上二郎は、ラジオ番組で命名のいわれについて以下のように証言している。
・漫才ではなくコントであることを強調するために、『コント』を冠することにする。
・新人は前進、前進を旨とせよ、という意味で『ゴーゴーゴー』とつける。
・.『コントゴーゴーゴー』と表記すると、新人なのに看板でスペースをとりすぎるので、『5』 を三つ並べて『555』と変更。
・元気がよくて舞台の上で台風並みに暴れる、というところから、台風○○号をもじって、『55号』とする。
□裏番組をぶっとばせ!
コント55号と言えば、1969年4月から1970年3月にかけて日本テレビ系で放送された「裏番組をぶっとばせ!」が思い出に残っています。タイトル通り、裏番組で放送されていた、NHK大河ドラマに対抗して作られたバラエティー番組だ。番組は好調で、本当に裏番組(NHK大河ドラマ「天と地と」)の視聴率を追い抜いた伝説の番組。
強烈に印象に残っているのが、「野球拳」コーナーだ。有名芸能人が参加し、負けたら着ている衣服を脱いでいくというものだ。しかし、“子供が野球拳をマネする”などの苦情が多数寄せられ、1年間で番組は終わるはめになった。これを期に、テレビ内での野球拳は封印された。
※つづき
「野球拳」だけが、注目されるようになり、別枠で「コント55号の野球ケン!!」番組が放送された経緯がある。脱いだ衣裳はその場でオークションにかけられ、この収益金は交通遺児のために全額寄付された。番組のエンディングでは広く募金を呼びかけ、視聴者から寄せられた一円玉の詰まった小瓶等も紹介していた。
「低俗番組」と言われ続けた番組だが、実は現在の24時間テレビの原型がすでに出来上がっていたのだ。
24年の時を経た1994年の大晦日にダウンタウン司会の特番で野球拳は復活したが、スポンサーから多くの苦情が寄せられた。 |